13番目の満月

月を越えたいと願うなら誰より険しい山へ挑め。

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見返りって

自分はやっぱり、淡白なんだろうか?
前回の記事および、その前の一連の記事をお読み頂き、また温かい拍手をくださった皆様、ありがとうございます。

さて、
『罪にならない』と言われるのは嬉しいんですが、
でも、逆の立場で、自分の夫が誰かから想われていると知ったら、あんまりいい気持ちはしないんじゃないかな…と自分では思ってます。
少なくとも自分だったら動揺します。
どーんと構えるなんて余裕はありません。
だから、少しでも相手の心に危害を加える可能性がある限りは、やっぱり罪かな…と。

そして…
『自分が自分を愛さないで、誰を愛するの?誰が愛してくれるの?』
ある方に言われて、本当にそうだなと思った、ということもあるのですが。
正直、やっぱり疲れてきています。一方的に思いつづけるのは。
彼が嫌いになったとか、そういうわけではないんです。
もちろん、自分の愛に見合うだけの愛情をくれとは、欠片も思ってません。
ですが、
愛していることを伝えることもできない、想いの寸分も知られてはいけないというのは…
あまりにも苦しいというか、しまいには自分で嫌になってきて。
見返りを求めないのが愛という人もいるかもしれませんが、自分は違うと思います。
一方に負担がかかりすぎる、一方が犠牲を払うのは、愛とは呼べないし、長続きしない。
たとえばお母さんと赤ちゃんという関係にしたって…
母親は赤ちゃんから無条件の信頼を寄せてもらっているのがわかるから、耐えられる部分もあるわけで。
そもそも、自分が誰かを愛したとして、相手から愛して欲しいと思うことは、
『見返り』ですかね????
当然のことだと、自分は想うのですが…
それになんだか自分で自分にはまっている気がして、それがあまりにもばかばかしいという想いがあります。なんだか自分から不幸になっているみたいだし。

そもそものはじまりが間違いだし、自分を含めて誰も幸せにはならないから、
この感情は自分で消滅させようと強く思いました。

こんなことを考える自分は、やっぱり淡白なんでしょうね…

それでも、朝彼が無事に会社に来ることを喜んでいる自分、
彼がわたしに笑いかけることを喜んでいる自分、
彼が息をしていることを喜んでいる自分がいることまでは…
自分は否定できないでしょう。

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