13番目の満月

月を越えたいと願うなら誰より険しい山へ挑め。

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義とは、なに

今日はじめて大河ドラマ『天地人』を見ましたが
そこで印象深いシーンがありました。
物語自体は、主人公・直江兼継が、上杉謙信の生き方に感銘を受け、のちに謙信のあとを継いだ
上杉景勝に仕え、最後まで義を貫く人生、その生き様を描いたストーリーと記憶してますが、
今日のシーンでは、若き日の直江兼継が、信長に出会い、そこから、『義』とはなんであるか、を改めて自分の中で問いただします。

比叡山焼き討ちを反対する兼継に、信長は言います。

『義』とは所詮戦のための大義名分にすぎない。
人は自分(信長)のことを、仏に仕える者を殺す鬼神呼ばわりするが、実際はどうか。
僧侶は利権を肥やし寺院は腐敗している。
仏に仕える坊主だから、そのようなことが許されてもいいのか。
自分は腐ったものを根こそぎ取って新たな世界を創ろうと思っている。
そしてそのためならば、鬼になることもいとわないと。

そして上記の信長の『義』に思うところあった兼継は、
後日、謙信に対し、信長が本当に悪なのか、戦における義とは何なのかを問いただします。

謙信は心に深いトラウマを負っていました。
過去、彼は自らの手で、兄を討ちます。
理由は…兄がいろいろな面で『弱かったから』でした。
兄は弱いから、越後の民を守れない。この国と民を守るためには、致し方ない。
これは正しいことなんだと誓って兄を討った、はずでした。
しかし…心の中には、兄の心の叫びを救えなかった自分を責めており、
ほかにも道があったのではないか、という後悔にさいなまれていました。
強いものが弱いものを力によって支配するというのは正しいのか。
いや、本当の義とはそうではない。
そうした想いから、謙信は兼継に、
『義とは、人が人であることのうつくしさよ』と説くのです。

正反対の理論ですが、自分にとってはこのシーンは生き方そのものを問われている想いでした。

・自分が正しいと思ったことのためなら、たとえ自分が悪に堕ちようともいとわない。
・戦いは力によって他を支配するためではなく、人としての道をまっとうするため、そして
他の人が人としての道をまっとうすることを守るためにある。

どちらも正しい。どちらも間違っているとは思えなかった。
すべての人に対し、一番良い方法なんてない。

そして、信長と謙信の2人には、
(たとえ自分を犠牲にしてでも)
今の乱れた世を変えていきたい、という想いと理念とが少なからずあるから。

そして自分の考える『義』は…

もし、こうありたいという姿、こう変えたいと望むことがあるなら…
そのためには、たとえ自分を犠牲にしたとしても、正しいと信じたことを貫き通したい。
もし力が必要であるとするなら、信念を最後まで貫き通すため、
そして、そうしたときの自分と周りの被害を最小限にするための…
そのための力なのだ。

そう思いました。
って、今は『そういう自分でありたい』程度ですが。

ともあれ、『天地人』いろいろな意味で興味あります(普段大河なんてめったに見ないのですが)
そして、直江兼継にはいろいろな意味で共感できます。
今後の展開が、そして彼がどんな『義』を見出していくかが楽しみです。
そして大河が終わる頃には…
自分も自分なりの『義』を見つけたい。
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この記事のコメント

彩霞さん、こんにちは。
歴史自体をヒロヒロはわかってないので、ちょっと、むずかしかったです…(汗)

でも、きっと、たくさんの人たちのためと、お兄さんを殺してしまう事が正義であるって、残酷ですね。
守りたいもののために、大切なひとつなものを犠牲にしなくてはいけなかった謙信はつらかったんだろうな
って思います+心の中で罪を背負っていきていかなくてはいかないんだから。

すべての人を生かす方法って、きっと、難関で…。
その中も自分の中の正しさや答えを出して生きていかなきゃいけないって、
結構、つらいことですね。
2009-02-02 Mon 20:02 | URL | ヒロヒロ #qT7Via4I[ 内容変更]
コメントありがとうございます。

>ヒロヒロさま

引かれそうな内容だなーと思いつつ書いたのですが…
だからこそ、コメントいただけたことを嬉しく思います。
さて…
『天地人』の舞台である戦国時代は、いわゆる『下克上』の世の中であって、子が親を殺す、とか、兄弟同士で殺しあう、とか、結構当たり前…だったのですよ。
現に、名だたる武将たちのほとんどが、親兄弟を殺す、または殺さなくても追放するとか、そういうことを、みんなやっています。
そして同時に、自分もいつ殺されるかもしれないことを、当然覚悟していかなければいけなかった。
だから力の強い悪人にはいい時代だったかもしれませんが、罪のない優しい人にとっては生き難い時代だったことでしょう。
ただ、…これはどんな時代であっても、どんな小さなことであっても、
『生かすものと殺すものをはっきりさせなければならない』
(どちらかを選ぶことはどちらかを切り捨てる)
というのはあると思ってます。
自分は商品企画時代に一番最初にそれを教わりました。
また、すべての人が喜ぶ方法…というのは、なかなかないことも事実です。
でも、だからこそ、
記事内にも書きましたが、犠牲をもし出すとしても最小限でいいように、少しでも強くなっておきたいなと自分は思うのです。
余談ですが『天地人』主人公・直江兼次は、後に自分たちの国が窮地に陥っても、誰一人切り捨てることはしませんでした。
そういう志の高い人物だったからこそ…戦国の世にあって、光り輝いていたのだろうな、と自分は思います。
2009-02-02 Mon 23:41 | URL | 彩霞 #tFLCjtZM[ 内容変更]
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